分かり合おうと努力しても、
どうしても埋まらない溝があります。
話せば話すほど、
すれ違っていく感覚。
なぜ人は、
こんなにも分かり合えないのでしょうか。
分かり合えないのは、失敗ではない
私たちはつい、
分かり合えないことを
「努力不足」だと考えがちです。
けれど実際には、
- 見てきた世界
- 背負ってきた役割
- 大切にしている価値
が違えば、
完全に重なることはありません。
分かり合えないのは、
人間関係の失敗ではなく、
前提条件です。
論語が示す「不同」
子曰、君子は和して同ぜず
(子路 第十三)
調和は大切にする。
しかし、無理に同じにはならない。
論語は、
分かり合うことよりも、
違いを前提に共にある姿勢を示しています。
分かり合おうとするほど、苦しくなるとき
完全な理解を求めると、
- 相手を説得しようとする
- 自分の正しさを証明しようとする
- 違いを欠陥と感じてしまう
こうして関係は、
対話から衝突へと変わります。
分かり合わなくても、並べる
人間関係には、
- 分かり合う関係
- 尊重し合う関係
- 距離を保つ関係
さまざまな形があります。
すべてを理解し合う必要はありません。
同じ方向を向かなくても、
同じ場にいられる
それも立派な関係です。
まとめ:分かり合えなさを、前提にする
人は、完全には分かり合えません。
論語が教えるのは、
違いを消す知恵ではなく、
違いを抱えたまま立つ姿勢です。
分かり合えないことを受け入れたとき、
人間関係は少しだけ、
静かになります。